30代後半に差し掛かる頃、なごみ庵という小さなお寺が主催している「死の体験旅行®」ワークショップに参加した。
徐々に弱って死にゆく中で、さまざまな大事なものを捨てていく体験をする
当日の雰囲気や過程はまた追々書くとして、
最も揺さぶられ、現実を突きつけられたのは、母のカードが最後の2枚まで残るという、存在の大きさだったこと。
妹より、父より、だいぶ存在として大きいのだと。
20代から10年以上も散々過去と向き合って、消化して、時間もお金もかけて、ようやく癒えてきた、忘れてきたと思っていた矢先のことだった。
子どもにとって母親の存在とはここまで大きいものなのか。
好き嫌いと、人生における存在感は別物なんだ。
人生の転機となった出来事や人物
たとえ、それが嫌な思い出だったとしても
私の人生において重要であるということを
まざまざと見せつけられ、涙が止まらなかった
後日、ふらりと入ったカフェで近くに座った母娘が口論を繰り広げた
母親側の発言の支離滅裂さ、振りかざす権力を見て、20代の自分と重なり、昔に引きづられるような、ずしっと重い気持ちになった
この出来事によって念押しをされたような気がした
私はまだ、母と向き合わなければならない
そういうメッセージに思えた
その後、私はナリ心理学に出会うことになる
おそらくこの時期から、母と向き合うフェーズが変わってきていて、私の母にまつわる問題は最終章に差し掛かってきたように思っている